3.11 東日本大震災と警察官のこと
公安アカデミー講師の山本です。
普段、楽しく、面白くをモットーにしていますが、本日はそういうのは抜きです。
18年の警察官の中で一番記憶に残っていること、伝えたいことがあります。
警察学校の教官としても、警察学校の学生たちに一生懸命に伝えてきたつもりです。
警察官をやめて、もうしゃべることが出来ない内容もたくさん出てきてしまい、伝えたいことの半分くらいしか伝えられません。
それでも、これから警察官を目指す人には知っておいてもらいたいことを書いていきます。
少し、不適切な表現もあるかもしれませんが、ありのままを伝えたいので、あえてそのままにします。
2011年3月11日、東日本大震災により各地大津波被害、多くの死者、いまでも行方不明の方がたくさんいます。
私は某県警の交通機動隊の白バイ隊員として勤務していました。
大きな揺れ、地響き。体験したことのない揺れ。
警察官になると、災害が起きた場合のルールがある程度決められています。
私はこの時勤務中でしたが、休みの人、泊まり明けの人でも招集を待たずに職場に出勤することになっています。
数時間のうちに一部を除いてほとんどの人が招集完了、そしてその間に被災地への派遣指令が出ました。
広域緊急援助隊。阪神淡路大震災の後に立ち上げられた制度です。全国の警察部隊が被災地に応援に入る仕組みです。
各部隊にそれぞれ任務が与えられており、交通部隊は本来被災地の交通整理や避難誘導、渋滞緩和のための措置など交通に関する業務が任務になっています。
私の部隊も当然、そのような任務の元、出動となりました。とりあえず、東北方面へ向かえ、詳細は追って指示。とのことで。
各都道府県警察の部隊をどこの県や警察署へ派遣させるのか、おそらく情報収集も大変だったのだと思います、出動要請の後、詳細な出動先が割り振られたのは、日付が明けて朝方を迎えようかという時間になっていたと思います。それまで東北地方へ入る寸前の高速道路で待機せざるを得ない状況でした。
そこから、それぞれの部隊が、岩手、宮城、福島などそれぞれの地へ出動します。
被災地がどのような状況だったのか、皆さんはもう想像がついていると思いますが、当時の私たちには想像もつきませんでした。
津波の被害現場を見たこともありませんし、テレビもありません、スマホも当時はなく、いわゆるガラケーのみでした。
分かる情報はラジオから聞こえる「〇〇地内、壊滅状態、△△地区壊滅状態、□□地内壊滅状態」の報道のみ。
壊滅状態という言葉をニュースで聞くのも初めてでしたし、壊滅状態がどんな状態を表しているのか、とても不気味な響きだったのを覚えています。
高速道路を使って警察車両の列が東北へ向かいましたが、道路状況も悪く、ヒビだらけのため、福島県に到着したのは翌日昼過ぎだったはずです。
某警察署へ到着し、署の人から概要の説明を聞きます。言えない内容が多々あるのですが、想像を超えた事態をここで知らされます。
津波のため救助に向かう道すらないこと、交通部隊としての任務は不要であること、人命救助にあたる部隊と人員がほぼいないことなどなど。
そして現地の指揮で、救助部隊の不足を交通部隊等で補うこととなり、私たちは何も装備も道具も持たない救助部隊として活動初日がはじまりました。
広域緊急援助隊や警察官の災害時の活動などについて少し説明を加えておきます。災害があった場合、警察官はいくら休みの日であっても、泊まり明けで一睡もしていないとしても、ある一定の災害があった場合は自主的に招集となります。
たとえ家族がいようと、子どもがいようと、です。もちろん家族に負傷者がいる、誰も子どもの世話をできない状況、付近に救助が必要な人がいる場合はそれらの対応を優先することも考えられます。
しかし、警察官の招集率はかなり高いです。誰かがやらなくてはいけない。こんな時に人のために何かできる人でいたい、そういった強い想いが警察官にはあります。
普段、警察官として勤務していて、ありがとうと言ってもらえることなんてほぼゼロ、罵声を浴びせられるのは日常茶飯事、犯罪者を相手に危険な思いをすることも多々。
でも警察官の地道な活動が誰かを救うことを知っているからこそ、警察官特有の「誰かのために誰かがやらにゃならん」という意識も強いのだと思います。
当時、私は20代半ば、独身だったこともあり、派遣要請がありそうだと聞いたとき、「警察官として少しでも役に立つなら絶対行きたい!」と本気で思いました。
しかし、実際の派遣を通じて私が思ったことは警察官一人は、無力だということ。
しかし、警察組織として多くの人数、資機材、チームワークで無力の力の集まりでも大きな力になること、その他に警察官に期待をする人の大きな想いを実感しました。
災害派遣で、救助部隊として活動したと聞いてどんなことを思い浮かべましたか?なんとか生き延びていた人を発見して救助するとかを思い浮かべた人が多いでしょうか。
私たちの部隊では、数日間の救助活動で救えた命は「ゼロ」でした。
ご遺体として発見した数は数えきれません。本当に無力とはこのことだと心底思いました。
そして、部隊が活動するためには、ガソリンが必要であり、食事が必要であり、寝る場所が必要であり、現場にいる警察官が家族に「派遣されていること」を知らせる必要もあります。
ガソリンスタンドは閉鎖、食べ物を売っているところはない、あったとしても、被災者を差し置いて買う訳には行かない、寝る場所もない、携帯は通じない。本当に救助しに行った側も万全な状況ではありません。
そんな中、救助活動中に、原発が爆発します。原発が爆発した時、何をしたら良いのか誰一人知りませんし、当然指示もありません。
一次的にバスに待機することくらいしいかできませんでした。防護服もない、マスクもない状態ですし、それらが必要だという認識すらありませんでした。
なんとなく、このまま放射線が漏れて、浴びたらやばいんだろうな、死んでしまうのかな。とバスに待機するみんなが言わないまでも考えていたと思います。
幾度かの爆発、緊迫した無線のやりとり、周囲の警察官の動き伝えたいことはたくさんありますが、退職した身として、そこは割愛せざるを得ないのでご了承ください。
その後、何も対策もないまま、原発からさほど離れていない元の捜索場所に任務に戻り救助活動を継続しました。
私のいた県警で、災害時に初めて運用した取り組みがあります。オフロードバイク部隊の運用です。
オフロードバイクというのは、自転車でいうマウンテンバイクのようなものです。整備された道を走るバイクではなく、荒れた路面や山を走れるバイクと思っていただけるといいと思います。

実際のオフロードバイクでの写真です。
結構な高さの障害物まで乗り越えて走ることが出来ます。
しかし、災害現場では、釘が散乱している場所が多く、活動の範囲は限定的になってしまいました。
このように、白バイ隊員は災害時に救助・情報偵察のため道なき道を進めるようオフロードバイクの訓練が行われています。
しかし、実際には交通機動隊に所属している中でも特別訓練生と呼ばれる隊員のみが本格的なオフロード訓練を行っています。
当時私は特別訓練生の2年目で、オフロードバイクでの情報収集の任務にあたりました。
救助部隊がバスで移動して活動するのに、どの道がどこまで安全に入っていけるのか、どの道が危険なのか、地元の警察署の人も把握できていないのです。
そのため、朝一でオフロードバイクに乗って活動予定場所へのルートを探し、活動拠点を決めるという任務を任せてもらいました。
電柱が倒れていて、ここは高さ的にバスは通れないだろうな、いやギリギリ通れるかもしれない。
斜めに倒れているから左端に寄せれば通れるか?いや寄せると傷んだ路面がくずれるか?
だめだ、ここは通れない。他のルートを探そう。
なんてことを一人でやっているうちに「部隊のスタートが10分遅れれば何か助かる人も助からなくなるのでは?」なんて不安も出始めてきます。
でも、通れない道、危険な道に部隊を誘導して何かあれば大変なことになる。
やっと確保したルートに無線でバスを誘導して救助活動が始まります。
海抜何メートルなのか知る由もないけれど、すぐそこは海で、活動中にも何度も緊急地震速報が流れそのたびに高台へ避難することになります。
高台に部隊員全員の人数確認が取れなければ、オフロード部隊として、津波がくれば最初に飲み込まれるであろう場所へ行き避難できていない警察官を引きあげさせる任務。
当時、無線の数も全く足りず、緊急地震速報や避難指示が届かず危険な状況であることに気づかない警察官がたくさんいたのです。
警察官の活動の話はこれ以上できないことが多いのですが、この派遣を通じて一番印象に残っているシーンがあります。
私たちが活動する区域は立入禁止エリアに指定されていました。その規制の外から活動を見守る女性の姿と言葉です。
家族が津波に巻き込まれ、生きているのか、死んでしまったのか分からない何としてでも早く見つけたい。
でも、立入規制のため、埋まっている可能性のある場所を探す権利すらない。だから警察官の活動を見守るしかない。
というのです。
この時の言葉が、私にとって「誰かのために誰かがやらにゃならん」を強く意識するようになった原点かもしれません。
あれから15年が経ちました。
警察官としていろいろ良い経験も、悩みも、警察官としての葛藤も。
プライベートでも結婚に子ども、退職、再出発。
警察官としての原点、「誰かのために誰かがやらにゃならん」
この言葉は、警察官としてだけではなく、これからも私の信念として刻んでいきたいと思います。
警察官って思ったよりも地味な活動ばかりだし、成果が目に見えない事の方が多いです。
でも、必ずその地道な活動により守られた人が存在しています。
守られた人も、警察官の活動の積み重ねで守られたことにも気が付きません。
「ありがとう」を言われなくてもいいと思っています。
陰で支える活動の積み重ねこそが、警察官の最大の強みであり存在価値だとも思います。
どうかこれから警察官を目指すみなさま、「陰で誰かを支える人生」に懸ける思いで警察官を目指していただけることが一人の守られる県民としての期待です。
どうか胸を張って警察官ですと言える警察官になってください。


